朝起きたら僕は季節はずれのインフルエンザになっていた。 僕も知らない、ましてや熱なんてない。 じいちゃんの嘘の電話がちょうど終わって目が合うと 「そういうことじゃ」と頷かれた。 さくらは平凡な朝ご飯にも おいしいおいしい と楽しそうに笑う。
心地のいい朝だ。



Last Love Letter




「一生のお願い」


じいちゃんのいなくなったリビングでさくらが言った。
君が言うと縁起でもない。

「僕のできることなら」
「制服」
「え」
「できればセーラー服」
「え」
「…ダメ?」
「着たことない?」
「院内学級しか行ったことない」
「制服を着て、どこへ?」
「うーん、大地の通ってる学校」
「僕今日インフルエンザらしいけど?」
「ああ!そうね、そうだった
 うーんと、じゃあ海。  あとはできればアヒルさんボートも漕いでみたい」
「…制服で?」
「そう」
「ボートなんて漕いでいいの?」
「うーん、死んじゃうかも」
「僕に漕げと」
「そういうことに、なりますかね」

お茶目に笑う君に僕はもうイエスしか言えない。
受話器を取って、小さなときから何度かけたか、覚えてしまっている指を 躍らせる。ぴぽぱぽと番号は音を鳴らす。 もしもしの先には聞きなれた声。数秒で終わる会話。

「貸してくれるって」
「きゃあ!」
「行く?待ってる?」
「どこで借りれるの?」
「隣の家」
「行く!」
「じゃあ行こうか」
「ちょっとまってパジャマ!」
「いいよそのままで」
「だめ!」


絶対嫌だというので仕方なく服を貸した。 パーカーにジーンズ。ジーンズはぶかぶかで、ベルトをきつく締めた。 歩いてすぐつく滝口家なのに髪の毛も丁寧にといて、君はオーケーと笑う。
小さなころから何度この家に来ただろう。 インターフォンをならすとみちおばちゃんではなく、あずさだった。 アイスをくわえている、いいな。

「どーぞ」
「さんきゅ、久しぶり」
「だい兄何してんの?入学式も行かなかったんでしょ?」
「季節はずれのインフルエンザらしい」
「は?」
「じいちゃんがそういうことにすればいいって」
「あ、そう」
「こちらさくら」
「こんにちは」
「こんにちは」


幼馴染のあずさ、と紹介すると頭を深く下げて、よろしくお願いしますと 大きな声で。元気があってよろしい。

「制服はあずさの借りるの」
「わあ…、ありがとう!お借りします!」
「さくらちゃんは、だい兄の…同級生?」

どこから説明すればいいのやら。


「まあ、そんなとこ」

詳しくは今度と適当に誤魔化しながら靴を脱いで、リビングへむかうと おばちゃんが「あらまあ、彼女かい!」と言うのでそれもまた「そんなところ」と 同じ台詞で笑ってみせた。さっきまで固い顔で笑っていた君は 制服を一目見た瞬間「わあ、」と感嘆。

「本当に着てもいいんですか?」
「そのために来たんでしょう?」

あずさと楽しそうで、僕も一安心。そのままあずさの部屋に連れて行かれて、 おいてけぼりの僕はおばちゃんの「アイスなら冷凍庫」の言葉に甘えた。 聞こえてくる声も楽しそうなので大丈夫だろう、あずさだし。 テレビにうつるのはいつもの番組で、ゲストのグラビアアイドルの昨日の料理の話は なんの味もしなかった。アイスは冷たく口の中でとろける。 春はバニラ、っしょ。
おばちゃんは洗濯機のメロディに吸い込まれるように消えて、 テレビはちょうどコマーシャルにはいるところ。扉が開いた。最後の一口がむせた。

「じゃーん」とあずさは笑って、君の長い髪の毛はおだんごでくくられ、 うすい化粧が施されていた。華奢な体に少し大きめの紺色のカーディガン。 膝上のスカートからきれいな足がのびていて、胸のリボンはゆれる。 洗濯物を持っておばちゃんは現れ「本当にべっぴんさんねえ」とアイスの在り処を 最後に言い残しまた消え、その後姿にあずさは「そうでしょ?」と得意げに笑った。

「さくらちゃん、お化粧初めてなんだって!」
「…へえ」
「だいちゃん?」
「ん?」
「変じゃない?」
「似合ってる。」

「これから大忙しなんでしょ?あっち行ったりこっち行ったり!」
あずさはおばちゃんの財布から三千円を引き抜いて「楽しんどいで!」と笑った。 親のお金をなんだと…、







「だいちゃんも」とお願いされて動きにくいと嫌な顔をするものの、 「一生の」とまた言われたものだからまたイエスしか出ない。 君のお願いは、ずるい。そんな顔で言われたら全部叶えてあげたくなる。 インフルエンザのはずの僕はもうここまできたら開き直っていた。 ばれたらその時だ。まあいいだろう。まだ見ぬ新しき同級生たちよ。
さくらはあずさと随分仲良くなったようで「とっても楽しかった!」と 数分前のことを歴史的瞬間のことのようにひとつひとつ僕に教えてくれた。


「海と、学校と、アヒルさんボートって言ってたら驚いてたよ」
「そりゃあね、欲張りコースですから」
「だいちゃんが本当にそんなに行くかなって、」
「ね、僕も迷ってる」
「いやだー、行こう?」
「はいはい行きますよ」
「へっへー」

気づいたら繋いでいた手を強く握ってみたら、同じように握り返された。

「お化粧ってたのしいね」
「初めてなの?」
「そう、あずさちゃんがね ばばばーってやってくれたの」
「へえ。」
「また遊ぼうねって約束したんだー」
「うん、遊んでやってくれ」
「だいちゃんと、あずさちゃんは幼馴染なんでしょう?」
「そう」
「いいなあ!」
「いいかな?」
「いいよ。すっごく!」
「そっか」

滝口家からいただいた今日の旅費で切符を二枚買う。 ずいぶん久しぶりにいく、ずっと先の駅。 コンビニでお水と、チョコレートを買って、改札で離れた手を繋ぎ直して 僕らは電車に乗った。 揺れる町並みを君は眩しそうに見つめて、桜が咲いているよと僕に言う。 花びらは舞う、この花はいつまで咲き続けるのだろうか。
ふう と前を向くと左肩が重たくなって、見ると君は首をもたげていた。 さっきまで笑っていたのにおやすみがはやい。 目的地はまだ遠い、ゆっくり過ごそう。眠ってしまうのもいい。 瞳はゆれる僕らの時間をうつした後、まぶたの裏だけを捉えた。