Larmes






いつも憂鬱そうにしているあの子の事を最初に知りたいと思ったのはいつだっただろうか。 吉原コトネ、僕の同級生、いつも鞄に村上春樹の小説の入ってる女の子。少し地味。 僕の名前は渡辺義哉。みんなからよっしーって呼ばれてる。某スーパーなんとかのゲームの恐竜ではない。 クラスでも結構目立つ方で(いや、ほんとにね)、だからクラスでよっしーって呼ばない子なんていないのに 吉原コトネだけが僕のことを渡辺くんと呼ぶ。距離を感じて、寂しい。 だから僕も仕方なく吉原さんと呼ぶ。他の女子はみんな下の名前を呼び捨てしているのに。 一度だけコトネって呼んでいい?と訊いたことがあったが、吉原さんで、と断られてしまった。 ああいうのって普通にショックだよね。うん、悲しかったー。

夏休み明けの席替えで初めて吉原さんと隣同士になった。 ていうか僕の周りの席はあまり仲の良くない人で固まってしまった。 くじ運のなさ! 最初は嫌だと思っていたけど、これを機に吉原さんによっしーと呼んでもらおう。 仲良くなれるといいな。なんて口に出したらきっと色んな人に笑われるだろうから、言わないけど。


*


席替えをしてから2週間がたった。僕はその間に教科書を7回忘れた。 でもそれは僕の中では割と普通で、教科書見せてーって言えばみんな見せてくれたから、 別になんとも思ってなかった。だから僕は吉原さんがどう思ってるかなんて、嫌な顔をしているだなんて、 まったく気づかなかった。今日、8回目。とうとう吉原さんが怒った。 教科書を見せてくれるものの、話しかけてもオールシカト。 だから黙ってチャイムが鳴るのを待った。 ちゃんと聞いたことがなかった先生の話をまじめに聞いてみた。つまんなかったけど。
そしてチャイムが鳴って「ありがとう」と言って机を離すと「渡辺くん、」と声をかけられた。

「なに?」
「渡辺くんって、だらしないね」

そう言って去った。がびーん、ふつうにショック。心臓はずきずき。 それを見てた由美が「吉原さん、うざー」なんて言ってた。 僕への援護のつもりなんだろうけど、あんまりありがたくないよ。 悪いのは僕なんだから、仕方ない。これじゃあもう、よっしーだなんて呼んでもらえないよ。 ていうか友達にもなってもらえるかわかんなくなっちゃったよ。 ちょっと世の中って言うやつ甘く見てたかもー。


*


それから僕は、頑張った。ええ、頑張りましたとも! 置いていく教科書は多少増えたけれども、毎日忘れ物をしないように気をつけました。 そして授業も寝ないようになったよ、偉すぎ。
でも、僕は人間なので、残念ながら忘れ物もしてしまいます。 しばらく忘れ物をすることがなかったので、チャイムがなってから気づいた。 つまり、他のクラスに借りにいくこともできなかった。 「ちぇー」と小さく呟いて、ため息。見せてなんて言えないよなー、ため息。 まあいいや。ふて寝でもしようかな。
そう考えていたら、吉原さん自ら、机をくっつけに来てくれた。

「え、」
「教科書、忘れたの?」
「…いいの?」

そう言ってると吉原さんはふんわりと笑った。眼鏡の奥の瞳が細くなる。

「だって、なかったら困るでしょう?」
「ありがとう」
「いえ、全然です」

しゅんと沈んでいた僕の心は一気に上昇。 教科書を見せてもらえたことも嬉しかったけど、吉原さんがこうやって 優しく話しかけてくれたこと、笑顔を見せてくれたことが嬉しかった。

「だらしなくて、ごめんね」

口に出てしまってから気づく。これじゃあ嫌味じゃん、僕嫌なやつー! うわ、せっかく良い感じによっしーって呼んでもらえそうな雰囲気だったのに、 僕自分でぶちこわした!
と、焦っていたら、彼女の方が焦った顔をしていた。小さな声で会話が続く。

「だらしないとか言ってごめんね。いいすぎだよね。
 あの日ちょっとうまくいかないことあって、渡辺くんに八つ当たりしちゃった。」
「そうだったんだ…」
「ほんとにごめんね、」
「ううん、僕ほんとにだらしないし」

そう言うと彼女は下がり眉のまま笑って、「あのあと、一度も忘れ物してなかったじゃない。 だらしなくなんかないよ」 見ててくれたんだ、知っててくれたんだ。それがすごく嬉しくって胸がいっぱいになる。 僕の心はいっぱいに、温かいもので溢れた。 だからちょっと、調子にのってみる。

「吉原さんのこと、コトネって呼んでも良いー?」
「え、」
「そんな露骨に嫌な顔しないでよ、」
「だって、わたしのことコトネって呼んだら、
 渡辺くんのことよっしーって呼ばなきゃいけなくなるじゃない。」
「…だめなの?」
「うん」
「なんで?」
「どうしても」
「ふーん」

まあいいや、リベンジするチャンスはきっとまだある!はず!
今は教科書を見せてくれたことだけでいいのです。授業終了のチャイムのあと、 ありがとうをきちんと伝えると、どういたしまして、そう笑った。


*


それから3日後、学校へ来ると僕の机の上に「よっしー、またね」とシャープペンで書いてあった。 少し、薄くなってた。誰が書いたのだろうと考えていると、先生が朝、告げた。

「吉原は今日、転校しました」

ひどくびっくりしていたのは僕だけで、周りのみんなはどうでもよさそうな感じ。 僕の隣は、空席になってしまった。ぽっかりと、穴があいた。 あとで聞いた話によると、しょっちゅう転校しているそうで、 今回こんな長期間いれたのが逆に珍しいらしい。だから人と距離を置くように なったのかな、なんて僕は一人で思っていた。 そんなこと思っても、仕方ないけど。

今度は机の上じゃなく、ちゃんと僕の名前呼んでね。 その時は僕もコトネって呼ぶから、さ。 ついでに勢いで、ちょっと好きだったんだよって伝えるから。だから、
またね、ね。

 



ほんとうはね

(君の名前を、呼んでみたかったよ。だけどお別れ、だからまたね)