ドアをくぐって、鍵をかけて初めて気づく、雨。
アスファルトはいつの間にやら黒く染められていた。
(今日の朝いつもより少し寒かったのはこのせいか。)
鍵をさっきとは逆に回して、この間君が忘れていった傘をつかむ。
桃色の水玉が広がるビニール傘。
少しだけ恥ずかしくて、少しだけ嬉しい。
ほどけていた靴紐を結んで、鍵をもう一度掛け直した。




ひとつめの横断歩道を渡るとブーブーとバイブ。
右のポケットから取り出して、覗く。画面には君の名前と「着信中」の文字。

「もしもし」
「おはよ。あのさ、あたしもしかしてユサトの家に傘忘れてった?」
「うん、僕今使ってるよ。そっちも雨なの?」
「そう。家出てから気づいた。さいあく」
「トモの家の近くにコンビニもないもんね」
「そーなんだよね。まあ諦めて歩いてるけど。」
「そうなの?今日家出るの早いね」
「え、そうかな? …うん、そうかも」
「なにそれ」


横を通ったトラックから、僕に豪快な水しぶきのプレゼント。
正直ちっとも嬉しくない。
うわーと嘆くと、トラックにでも水かけられた?と君の声。


「よくわかったね」
「うん、まあそれくらいしかなくない?」
「僕が財布忘れたとか、かもよ」
「それだったらユサト、もっと激しく驚くじゃん」
「確かに。 あ、そういえばおばさんの調子良くなった?」
「あー、まあそこそこ。飛び抜けて良いわけでもないけど、ご飯は食べてるよ」
「そっか、良かったね」
「うん、でもそろそろ遠距離も疲れたね。ユサト元気?」
「ははは!元気だよ。2週間前に逢ったじゃん」
「2週間も逢ってないじゃん。"も"だよ。も!」
「そうだね。でもなんか先週も今週も毎日があっという間で」
「だよね、同じく。それでも逢えない時間は寂しいよ」
「…どうしたの朝から」


水たまりに映る街灯をよけながら、歩く。
君の思いがけない言葉に、つい僕まで胸がキュンとなった。
逢えない時間は僕らの心を何度でも切なくさせる。
映画よりも、小説よりも、ずっとリアルに。
好きなんだと、右脳も左脳も関係なく、きっとこれは本能だ。



「ユサトは寂しくないの?」
「、寂しいよ」
「そっか」


君は遠い何処かで深呼吸。
大げさに吐いたその息は、ここからでも見える。



「あたしね、レベルアップしたんだ」
「ふーん」
「ふーんって…驚いてよ」
「具体的に、どんな風に?」
「ユサトの想像を具体化できるんだよ」
「本当に?やってみてよ」
「いいよ。じゃあまず立ち止まって?」


言われた通り、立ち止まる。
まだ遅刻はしない程度の余裕はある。


「それで、目をつむって、傘の右半分を開けて」
「ふんふん。」


言われたとおりに目をつむって、
左手で持っていた傘、右手で持っていた電話を持ち替える。
それから君が、1、2、3と数えたあと、プープーと終話の合図。
電波?でもバッチリ3本。
ケータイをじろじろ見ていると、逆側から身体を揺らされる。
ごめんなさい、と言いかけて、相手を確認。



「トモちゃん、とーじょー」



「…どしたの?」
「だってユサトがどうしてもあたしに逢いたいって言うから」
「言ったっけ?」
「なにそれ!ていうかユサト感動薄すぎ!」
「いや、あんまりにもビックリして」
「本当に? 驚きも薄くない?」
「そんなことないよ。それよりもトモ、びしょびしょじゃん」
「だってユサト探すのに時間かかっちゃって」
「…ばっかだなあ。」
「ばかじゃないです、はい。」
「おばさんは、いいの?」
「うん、大丈夫。だってお母さんが行きなさいって言ったんだよ」
「こんな平日に?」
「そうそう。ユサト君はサボりなさいって事だよ」
「ぷ。それならよかった。」
「…め いわく だった?」
「ううん、逢えて嬉しい。久しぶり。」


僕がそう言うと、トモは満足そうに笑った。
用がなくなってしまったケータイはポケットに再び収まる。
僕が傘を持つ手に、君が腕を上手に絡ませて歩く。
同じ歩幅で、同じ速度で。
重なりあう声は傘の中で響いてこもり、やがて温もりになる。
それだけで、なんでもできそうな力。




愛逢い傘
(この傘の下が、今の僕の全て。)