隣の雪子ちゃん
雪子ちゃんはいつも僕の隣にいた。
どんな沈んだ夜の日も、風が吹き荒れる時でも。
雪子ちゃんが好きな人と電話をしている時も。
というのも、単純にマンションの隣同士で、位置的に部屋が隣なのだ。
(期待をさせてしまった方、すいません)
僕らは仲が良かった。幼なじみ、というやつだと思う。
雪子ちゃんは一つ年上だけれど、僕の兄ちゃんと同い年だったこともあって、
小さな頃はよく遊んでいた。
スイカ割りも花火も、そり滑りも。怒られることもたくさんしたし、ケンカをしたこともあった。
まあ主に僕と兄ちゃんのケンカに雪子ちゃんが巻き込まれる形だったけれど。
一番近い女の子、すぐ傍にいる女性。
気が付いたら意識していた。好きに、なっていた。
だけれど時間が経つと、そうはいかなくなる。そんな簡単じゃないということを、思い知らされる。
スイカ割りも花火も、そり滑りもしなくなるのだ。
それはもう当たり前のように僕らは大人になる。距離ができる。
毎日、こんな壁一枚越しに生きているのに、あのころあんな近くで生きていたのに。
高校1年生になってもうすぐまた新しい春を迎えようとした今、
雪子ちゃんに彼氏ができた。
兄ちゃんと雪子ちゃんが、恋人同士になった。
*
僕らは同じ高校に進んだ。雪子ちゃんも兄ちゃんも頭が良かったから大変だった。
中学3年は本当に勉強した。結果は無事見事合格。
絶対無理だと言い切った担任にも親にも、ざまあみろだった。
(まあ僕が一番びっくりしたけど)
雪子ちゃんに「なんでこの高校にしたの?」と何度も聞かれたけれど、一度も答えられなかった。
寂しかった、なんてかっこ悪くて言えない。
僕の知らない世界の話をする兄ちゃんと雪子ちゃんに置いて行かれるみたいで嫌だった、なんて。
同じ高校に入って、2人の話す先生とか教室の場所とかはわかったけれど、
それでも 違う。僕から寂しさは抜けなかった。
それに僕は僕で忙しかった。友達、テスト、部活、学校行事、その他もろもろ。
だから、気づかなかった。2人の、関係が少しずつ変わってることなんて。
付き合っていると言うことを知ったのは、雪の降る帰り道。
僕の歩く数メートル先に、兄ちゃんと手を繋ぐ見慣れた制服の子が歩いていた。
仲良さそうに、話してて、あ 彼女なのかな なんだよ兄ちゃん言えよ、と思った瞬間、
隣の人の顔が見えた。
…雪子ちゃんだ。
僕は立ち止まった。心臓がおちた。地の底の見えない暗闇へ、吸い込まれていった。
嘘だと思いたかった。そう、誰かに言って欲しかった。
だけど僕が雪子ちゃんを見間違えるはずがないのだ。
あんな幸せそうに笑う雪子ちゃんを、間違えたりしない。
だけれど万が一、もしあの雪の日滑らないように兄ちゃんが手を貸してやったとか、
そういう事があるかもしれないので、帰ってから確認をした。
「兄ちゃんさ、雪子ちゃんと付き合ってんの?」と、僕は言った。
必死に声を震わして、涙はどうしてか準備万端、息が うまくできない。
答えはたったの2文字、あっという間の2拍。
「うん」の答えに僕の感情は暗闇ボックスに閉じこめられた。
すぐ傍にあった涙までも、一緒に。
部屋に戻ると隣の部屋から微かな音楽が聞こえた。
雪子ちゃんの好きだと言っていた人たちの曲。3人で何度も聞いた、曲。
僕はもうどうしたらいいのかわからなかった。
本当は、本当なら長く積もったこの思いを、今すぐにでも言いたかった。
だけど僕は臆病に、3人の関係を壊してしまうかもしれないことが、怖かったのだ。
今は、どうしたらいいのだろう。
思いを伝えるべきだろうか、黙ってそのまま2人を祝福するべきだろうか。
それから何日間か経って、僕は黙っておこうと心に決めた。
2人には知らなくていい。それに、雪子ちゃんに気を遣わせてしまうかもしれないと、思った。
本当に、心に誓った。
そしたらその夜、牛乳のおつかいに頼まれたコンビニで、雪子ちゃんにあった。
おでこを出して、コンタクトじゃなく眼鏡で。
雪子ちゃんは僕に気づくと、いつもの顔をくしゃくしゃにする笑顔で僕の名前を呼んだ。
「久しぶりだね、ハルカ」と。僕のこころも知らないで。
だから僕も、なんともないふりで言う。いつも通りの「久しぶりだね」を。
「食べたくなっちゃった」と雪子ちゃんは言った。袋には二つのアイス。イチゴとチョコ。
僕とは手を繋がない帰り道。あの日と同じ道。いつも通りの会話をいつも通りにした。それだけだった。
だけど少しの間のあと、「ハルカ好きな人いないのー?」
と雪子ちゃんは僕に問いかける。それはまあ別に普通の質問で、今まで何回か質問されたことはあったけれど
、そのたびにはぐらかしてきた。「いないよ、そんなの」と嘘をついてきた。
だけど今は嘘をつけない。なんか、ついちゃいけない気がした。
「いるよ」とそれだけ言うと、雪子ちゃんはびっくりと同時にすごく喜んでいた。
「そういう話聞くの初めて!えー、誰?どんな子?」
「んー、一個上かな」
「そうなのー!年上?え、じゃあ雪子と同じ年?」
「そうだよ、雪子ちゃんも知ってる人」
「ほんとに! えーだれだれ、?」
「あと、冬生まれなのに、雪が嫌いな子。自分の名前に雪がつく人」
「雪子みたいだね!」
「うん、そう。雪子ちゃんだよ」
「…え、またまたー!」
「うそなんてつかない、僕、雪子ちゃんがずっと好きだったよ」
言わないと決めていた言葉が、あっさり出た。
雪子ちゃんも驚いていたけど、言ってしまった僕自身にも驚いた。
だって、こんなに気持ちが晴れやかになるなんて、知らなかった。
だから僕は「うんと、」と答えを必死に探そうとしている雪子ちゃんを制する。
「でも雪子ちゃんはそんな僕の気持ちを知らずに、兄ちゃんと付き合った。」
「えっと、ごめ」
「あやまんないで」
「……」
「謝って欲しいわけじゃ、ないんだ」
「…うん」
「うん。」
「うん、ありがとう。ハルカ、ありがとう」
また、ほら、ぼくのすきな笑顔。あの日、2人が付き合ってると知っても泣かなかったのに、
今はどうしようもない、止める事なんてできない程の勢いで溢れる涙。
雪子ちゃんはそんな僕を見て、もらい泣きをしながら、背伸びで僕を抱きしめた。
「ありがとう」と何度もなんども、つぶやいて。
*
家に帰ると兄ちゃんはテレビを見ていた。いつも通りの風景だ。
「兄ちゃん、」と呼ぶと、振り向かずそのままで「んー」と返事をした。
母ちゃんは台所にいたし、父ちゃんは風呂。だから言う、「僕さ、雪子ちゃんが好きなんだ」と。
兄ちゃんはびっくりしてた。思いっきり振り向いた。
少しは気づいてるのかなと思ってたけど、ちっともだったらしい。
鈍感だからなー。まったく。
「それで、さっき好きって言ってきた。」
「え、雪子に会いに行ってたの?」
「あと雪子ちゃんとちゅーした」
「え、おまえふざけ…」
「うそだよ。」
「…は?」
「嘘です。僕は振られましたーはいめでたしめでたし」
「あ、そっか…。」
「だからさ、兄ちゃん」
「、なに」
「雪子ちゃん僕の分までしっかり幸せにしてね」
「…生意気。」
「言っとくけどこれ、相当だから」
「言われなくても、雪子は俺が幸せーっにしますよ」
むかつく、とは言わなかった。心では舌打ちしたけど。
部屋に戻って、雪子ちゃんから貰ったイチゴのアイスを食べる。
きっと今雪子ちゃんも壁一枚越しにアイスを食べているんだろう。
「ありがとう、かー」
それはこっちの台詞なのに。ありがとうありがとう。
ありがとう雪子ちゃん、これ以上無いほどの感情も記憶も優しさも、ありがとう。
君が笑ってくれるだけで僕がどれだけ幸せか、例え君は知らなくとも。
隣の雪子ちゃん